剛柔流空手道五十嵐道場 太閤山教室

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五十嵐空手道場と東心会について

東心会について

東心会は、寺田師範が、泉武会誠心塾創設者である原田彪太朗師範に、道場開設認許を受け、1972年に創設した台東区役所空手道部が原点である。
 創部10周年と柏道場発足を機に、原田師範の許しを得て「誠心塾東心会」と命名した。
 以来37年間、上野・浅草を中心に、空手道を通じて青少年の健全育成、中高年の健康増進に努めている。原田師範は、泉川寛喜範士に師事。
 第一回世界大会日本チーム監督を務めるなど空手界の要職に就かれていたが、1998年に永眠された。
 原田師範他界後、「誠心塾」を「誠友連合」と改め「泉武会誠友連合東心会」とした。
 泉川寛喜範士は、比嘉世幸先師に師事。
 1939年に剛柔流空手道の本土への普及のため、川崎市に「泉武館」を創設された。
 比嘉世幸先師は、東恩納寛量祖師に師事。祖師他界後、宮城長順流祖の高弟として迎えられた。

泉武会について

泉武会は、先師泉川寛喜先生が昭和14年に神奈川県川崎市に移住し、「剛柔流泉武館」を創立された。
 爾来80年の時が経た。
 先師は、明治41年沖縄県那覇市牧志町に生まれ、幼少の頃より東恩納寛量流祖と接し、少年時代から許田重発先師に教えを受けて、長じて比嘉世幸先師に師事した。
 国内外での空手道の指導普及に尽力されたが、昭和42年60歳で御逝去された。
 二代目館長を長男寛文師範が継承した。
 寛文師範は連合会全国大会形の部で6連覇の実績を残しながら、昭和59年39歳で早世された。
 三代目宗家を次男勝也師範が継承し、泉武会会長に鈴木覚総師範が就かれた。
 鈴木会長の盟友原田彪太朗師範は連合会東日本の草分けであったが、平成10年に御逝去されて、その門下生は誠友連合を結成して、総本部覚心塾本部と共に、鈴木会長の元に心を一つにして斯道の普及発展に努めている。

剛柔流空手道泉武会東心会のホームページより
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